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MO journal

ものづくり、カフェ、日々のいろいろ

議論が苦手…というより大嫌いな僕は、絶望的に組織には向かない。

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ミーティングで議論してる様子

はじめに結論から書きますが、たぶんこの行きつく先って「愛情の欠如」です。

 

所属してる組織をよくしたい、地域を活性化させたい、こうした気持ちがあれば意見をだしあって議論して、みんなで方向性を決めていきますよね。ぼくはそれができないんですよ・・・絶望的に。

 

すると僕にはなにかをよくしたいといった愛情が足りないわけです、はい。ごめんなさい。どうも意見がちがうと、「あ、そうなんだね、君はそう思うんだね」そこで終わりにしゃうんですよねぇ。そこから一歩すすんで議論にまで発展することがない・・・しようとしない

ディスカッションとか地獄すぎる 

そういえば、新卒での就職活動でもそうでした。

たまに選考がすすむと、グループディスカッションがあるんです。しかもみんなが同じ意見じゃ議論にならないので、4人4人ずつ計8人で、賛成と反対を指定されるんです。

「あなたは賛成派として、じゃぁあなたは反対派として、それで議論してください」、と。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

もう10年前なのでどういった課題だったか覚えてませんが、ぼくは自分の意見とは違うグループを演じなきゃいけなくなりました。賛成だったのに、なぜか反対派として意見をいうという…。

 

どれだけモノゴトを客観的にみて言語化できるか、といった能力をみたいんでしょうが、これマジなんなんでしょう?もう僕は無言で、というより、やってはいけないことをやってしまいます。笑

 

じつは賛成なんですが・・・、」といったクダリから話して、薄っぺらい中身のないことしか話せなかったのを覚えています。

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愛情の欠如なのか 

これ以外にも2回ほどグループディスカッションやりましたが、もう全部ダメ。相手の意見をきいた時点で、ぼくの中では意見がちがう人だ…、とそこで話は終了なんですよ。

 

「もうこの話はやめて、もっとお互いが楽しく話せる共通点を探しましょ」と言いたくなってしまいます。

 

たしか議論のトピックは受けた企業にも時事ネタでもない、ごくごく日常のなにかだった気がしますが、ぼくには無理でした・・・ただ冒頭のとおり、議論は本当になにかをよくしたい、変えたい、と思ったときには必須ですよね?

 

凝り固まった自分だけの意見よりも、たくさんの人の話を聞いたほうが間違いなく効率的だし、その組織のなかでのダイレクションが定まっていくはずです。

 

そうした意味でも、ぼくはやはりエゴの塊で、組織には馴染めない、馴染もうとしないところがありますね。毎日書きはじめてからもう1年がたつこのブログが続いてるのも、じぶんの意見だけを表明できるからかもしれません。

 

これが議論に発展するようだったら、やはり続いてないことでしょう。だから今流行りのサロンはどうも肌に合わない…。

ブログばっかり書いてるあなたも、おなじ穴のムジナかもしれませんよ( ´ ▽ ` )ノ

 

参考:内向的なのは個性です。人付き合いより自分の時間を大切に。社会に合わせると「うつ病」になるよ。

 

参考:1つの場所に定住することは「退屈すぎる」!変化し続けることが感性を豊かにし、日常に彩りを与え「楽しさを倍増させる」のだろう。