MO journal

ものづくり、カフェ、日々のいろいろ

ぼくが抱えてきた社会への怒り。それは一体なんだったんだろう。ただ1つ確かなのは「うつ病」になったという事実だけ。

白夜行をみてると、性善説、性悪説といった、中学や高校でおそわったことを思いだしました。そんななか高校では書道のクラスがあり、好きな漢字をひとつ自分で決め、その漢字をなんどもなんども書くといった授業がありました。

 

みんなが希望、夢といったポジティブな言葉を書いてるよこで、ぼくが選んだ漢字は

 

「邪」

 

そう邪悪といった言葉があるように、ネガティブな意味合いがすさまじく強い文字を選びました。

 

これはいったい何を意味するのだろう?

この文字をえらんだときの深層心理はなんだったのだろうか?

 

これはボクシングに没頭した高校生活1年目のできごと。

電車とバスをのりつぎ片道2時間かけてかよった3年間の高校生活は、恋人ばかりでなく友人さえもつくろうとは一切せず、ボクシングがすべてだった。

むしろそうするのが生きるうえでの美徳で、ボクシング以外はなにもいらないと感情を押し込める日々。

 

朝から学校の授業では寝るのがあたりまえで、昼休みは表面上なかよくしてた人たちと食堂で食事、ときには居心地の悪さからトイレの個室でひとりぼっちで昼食をたべたこともありました。

 

ぼくの思い込み能力は相当なものがあり、ボクシングがあればそれでいい、ほかのあらゆる感情をむりやり無視しつづけていたのです。

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書道で「邪」という文字を選んだのは、そうした一面を表しています。

あえてまわりからの雑念を遮断して、ボクシングに集中できる、いいかえると、ボクシングでなんとしても結果を残すことを自分自身に課していたのかもしれません。

 

いまかんがえるとこれは自己実現の一種、いやじぶんの存在価値をどこにも見つけることができず、そのひとつの手段としてケンカの象徴、キングオブスポーツといわれるボクシングを選び「世界一になるんだ!」と決めたのかな、と。

 

幼少期をふりかえると、そこにはいつも周りと比較されつづけたことへのコンプレックスがあふれてきます。

だからこそ「まだまわりで誰もやったことがないボクシング」に魅力を感じたんだろうし、のめりこんでいったのでしょう。

 

で、そうした不器用さ、アホさが後々のうつ病の引き金になったことはこのブログを読んでるみなさんであれば、容易に想像がつきますね…(涙)グスン

 

ね、ぼくがうつ病になるのはもう幼少期から決められてたことなんですよ。もう避けられない運命で、ぼくの人生における共同体のようなもの。

 

うつ病になったことでやっと、自分自身の弱さを認めてあげることができました。

もしうつ病にならなかったら、ぼくは一生苦しみ続けたのかもしれません。

あの雪穂や亮司のように……(笑)

 

ただこうして今があるのは、ホントにうつ病のおかげ。

ぼくには自分の暴走を止めるなんらかのキッカケが必要でした。

皮肉なことに、「うつ病」によってぼくは過去の呪縛から逃れられたのです。

 

おしまい。