MO journal

ものづくり、カフェ、日々のいろいろ

近所から聞こえた早朝の嗚咽。長年連れ添った「大切なもの」を失う恐怖を感じた話。

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まもなく朝5:30

 

夜明けとともに日が昇りはじめ、今日という日がはじまりだした。

ぼくは眠たい目をゴシゴシとこすりながら起きて、カップに注いだオレンジジュースを飲んでいたときだった。

突然の嗚咽が…

もうなにを言ってるか聞きとれないほどの、悲しみに満ちた声が近所周辺に響きわたった。

おそらく窓を開けたままだったのだろう。

 

突然の悲しいできごとに戸惑い、泣き崩れる姿が容易に想像できた。

1分ほど経つと声がかなり小さくなった。

 

本人あるいは家族が窓をしめたのだろう。

かすかに同じ嗚咽が聞こえてくる。

最愛の家族との別れ

なにが起きたのかはわかりません。

家族がなくなったのか、あるいはペットが亡くなったのか。

それとも精神的な疾患で気を取り乱していただけなのか。

 

ただなぜか、ぼくはふと家族との死別は避けらない事実であることを感じました。

そう。こればかりは誰にも避けられない。残酷な現実です。

 

生きることは残酷さを受けいれること

ぼくの両親もいずれ死にます。

兄弟しかり。

 

そして妻だってそう。

もちろん僕自身も遅かれ早かれこの世から姿を消します。

 

そう考えると不思議なもので、一種の虚無感と同時に、時間が有限であることを嫌でも意識させられます

 

ほんと残酷ですよね。

朝起きたら愛する家族が息をしなくなってて、身体にさわると冷たい。

そこにはもう愛していたはずの相手の魂はこの世から抜けさり、身体からは生気を感じられなくなってるわけです。

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悲しむのでなく、そんなときこそ感謝したい

やがて来ることは悟りながらも、現実に起こると受け入れがたい「死ぬ」というできごと。

実際に起こるまではどうしても実感を持つことができない。

そして一度起こるともう二度と戻ってこない、圧倒的なまでの残酷さ

 

残されたものにとっては、いままでの思い出をふりかえり、一緒にいれたことを感謝することぐらいしかできません。

 

すぐに忘れて未来を向こう

一般的には故人を想いその後も供養することが良しとされてるものの、果たしてそれが良いのかどうかさえ僕にはわかりません。

 

亡くなったらスパッと自分のことなど忘れて、残されたものには新しい生活を楽しんでほしいと思ってるひとだって多いのではないでしょうか。

 

30分ほど経ったいま、突然聞こえた嗚咽はもう完全にきこえなくなりました。

なにがあったのかは知る良しもないものの、ひとの生と死を考えさせる出来事でした。